入門心得

■居合、抜刀術の意義

鎌倉時代の騎馬戦から、室町時代後期には織田信長による槍隊、更に長篠の戦いに見られる鉄砲隊による集団戦法に変わり、士卒の徒歩戦が多くなると、刀剣にも変化が出てきた。刃を下にし左腰に吊るした陣太刀に変わり、刃を上にした半太刀、打刀と短い腰刀、次いで大小の両刀を左腰にさすようになる。この変化は天文の頃に始まり江戸時代慶長頃には一般化した。当然刀燥術も変化した。

居合とは立合に対する意で立合とは両者離れて刀を抜いてから、次第に接近し勝負するのに対し居合は座していても歩いていても、その場、居たままにして抜刀の瞬間に勝負を決するのです。当初は抜刀術と言われたが江戸時代になると居合といわれるようになる。

鯉口の切り方、柄への手の掛け方、手の締め具合、足の踏みよう、腰の捻りなど、身に危険を察知するや否や素早く刀を抜くか、先または後の先の鞘離れの一刀で敵を倒し身を守る居合(抜刀術)は、剣を修行する武士にとって必須の技であり、剣居一体といわれる所以である。

兵法はヘイ法ともヒョウ法とも読むが、ヘイ法とは自身の技、心のありようでありヒョウ法とは戦略、用兵の法である。
居合兵法は、始祖林崎甚助重信に始まり、古来の武士によって苦心研鑽の末、創案、継承されてきた日本刀(真剣)を持って行う心身練磨の道であり、急変に書して直ちにこれに応じ身を守る当方で、その座作身体により強靭な心身を練成することはもちろん、自己を究明する道であり日本の武道の根源であり、人生、処世の道である。

居合の居とは、体の居る所、心の居る所との意で、その場、その時の心身の実在を指しているのであり、合とは、来たればすなわち迎え、去ればすなわち送り、打てば響き、呼べば答えるという臨機応変、当意即妙の働きを言うのであり、人を敬い、人を愛し、人との和合をなすものである。

即ち居合は、お互いの心を和合させ、行住坐臥、一挙手、一投足、森羅万象全て天地一体、万物同根にて宇宙と一体、和順することであり、ただ単に刀を抜くことだけが居合と思ってはならない。眼にも止まらぬ早業をもって、一瞬にして勝つための刀法の工夫だけではない。

人に斬られず、人斬らず、心の敵を作らず、邪念邪欲を去り、己を責めて己に克ち、天理に基き人道にのっとり、刀を抜かぬ前の修行を第一義とすべきである。
刀を抜き人を損ねることなく、刀に手を触れず、人格・識見・威厳・徳行によって刀を用いず、戦わずして相手との和合をなすのが、居合道の真髄である。この事は古来から、日本武士道の極意とされ、絶えず己の心、胆を練り磨き、事を未然に防ぐ修養が何よりも肝要であり、刀は抜かないことが至極である。
ただ、相手に邪曲意思があるときは、天理に基いて破邪顕正の一剣、断魔の利剣の挙に出るのも、道を求める所以である。仏心鬼剣をもって機先を制し、沈着周到を持っていよいよ発動するときは、遅速・緩急・強弱・陰陽を悟り、百錬の功を身に得て場に臨み、静中にして動、動中にして静、懸侍表裏の技と残心を自得し事を納め、而して格調高き無限の品位と、風格ある境地に到達する事が、居合道の妙理である。
一剣をもって身体を錬磨し、技術を錬磨し、精神を錬磨し、己を修め人を修め、天道に悟入し、一切の邪念を払って至高至純に自己形成をはかり、悪に対して正をもって迎え、邪心に対しては誠心で立ち向かい、その心はとりもなおさず平和を愛する心に通ずる。故に居合道の練成は、人類国家の降盛に役立ち、ひいては世界平和に尽くす和魂の大道を歩む大人の武道である。

居合とは 人にきられず 人きらず ただ受けとめて たいらかに勝つ

■これからの稽古の進め方

1.安全指導

2.刀の取り扱、手入れの仕方

3.着付け

4.刀礼、礼

5.帯刀

6.構え(正眼、上段、脇)

7.基本刀法(右袈裟、左袈裟、右逆袈裟、左逆袈裟、右水平、左水平、突き)

8.型 神明無想林崎流 立技 座技(毎月1本ずつ進めます)

9.試し切り 巻き新聞( 基本刀法、五段斬り、六段斬り、山斬り、稲妻、波返し、横並び)

        藁   (基本刀法、五段斬り、六段斬り、山斬り、稲妻、波返し、横並び、水返し)

10. 組太刀 五行剣 (正眼の構え、上段の構え、脇構え、八双の構え、下段の構え)




神明無想林崎流  尚士館
宗師範     熊谷勝則

~稽古案内へ~